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荻野目慶子・KEIKO OGINOME
1964年9月4日生まれ 血液型 A型  荻野目洋子の実姉。
1979年、舞台『奇跡の人』のヒロイン・ヘレン・ケラーの役を選ぶオーディションに合格し
芸能界入り。 その後はテレビ、映画、舞台とアイドル並みに幅広く活躍の場を広げた。
第1回 女優 慶子 と 歌手 洋子 の生い立ち
洋子 今日、話したいことは大きく分けて二つあって、一つは、わたしと慶子ちゃんが、こうやって、並んでしゃべるというのはなかなかなかったから、そろそろタイミングと言ったら変だけど、二人とも大人になって(笑)、最近、プライベートでもよく話すし、で、そういう姿というものは、わたしたちを知っている人たちにも新鮮に見えるんじゃないかなって思って。もう一つは、今年、わたしたちの父親が亡くなって、あらためて家族の重みとか、素晴らしさを肌で感じるようになって、そういうことを話したいなと。
まず、女優 荻野目慶子と歌手 荻野目洋子が、そもそもどうやって生まれたかということから話そうか。まわりから見たら、芸能人家庭に見えちゃうかもしれないけど、全然そうじゃなくって…(笑)
慶子 よく言われるよね。
洋子 二人姉妹なんですかとか、お姉さんの影響を受けたんですかとか…ね。そもそも、慶子ちゃんは、どうして「劇団ひまわり」に入ったの?
慶子 えっ、ヨーたん、知らなかったかな。新聞の広告を読んで…
洋子 それは知ってる、知ってる。
慶子 ウチって、そういう環境、まったくなかったじゃない。
洋子 なかった、なかった。サラリーマン家庭だったからね。
慶子 つくづく思うのは、ママがモノを作るのが好きだった。お菓子にしても、洋服にしてもね。で、四人兄妹で、動物もいたし。
洋子 犬も猫も常にいたし。
慶子 多いときで猫は八匹ぐらい、犬は二匹ぐらい。狭い部屋の中でどうやって歩けばいいみたいな。でも、そういうなかで、モノを作ることの楽しさね、それが自然に入ってきた。それがママからの影響。パパは絵を描くことが好きな人で、旅をするのも好きな人で…
洋子 映画も好きだったよね。
慶子 学校休んで、チャップリンの映画を観に行ったり。それと、家で音楽をかけてたよね。ベートーヴェンの「皇帝」とか「運命」とか。そういう意味では、なんかこう、環境としては整っていたよね。
洋子 強制はなかったけど、でもまあいちおう、材料はあった…
慶子 本もいっぱいあったじゃない。そこから、言葉に関しての興味というか、やっぱりパパの影響なのかなぁ。なんか、好きにしていいよっていうのがベースとしてあったね。ちっちゃいころにしても、何にしても、無意味にこっちの方向にどうしようっていうのって、なかったよねぇ。
洋子 うん、なかったねぇ。(続く)
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